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『政府と反乱―すべての男は消耗品である』
2012-10-09 Tue
政府と反乱
『政府と反乱―すべての男は消耗品である』 幻冬舎文庫 村上 龍 (著)

「すべての男は消耗品である」のシリーズは一度も読んだことないのだが、「政府と反乱」のタイトルにつられ読んでみることに。
このシリーズは大体がスポーツや男女についてのエッセイのようだが、この本は日本の政治や社会について著者が憂いていることをエッセイにしている。
文庫なので4年前の内容であるが、今も日本の経済や政治が上向きに変化しているわけではないので4年前とはいえ古さを感じさせない。
メディアによく顔を出している氏であるが、メディアの報道の仕方を徹底的に批判しているところは私も同意してしまう。
まあ今の日本は国を憂う評論家はいくらでもいるが、それを実行できる政治家がいないことが問題なのだが。
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コメント
★ Japanese
意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).


英米人は、意思を比較して個人を選出して責任者とする。


意思は、表明できる。議論の対象になる。


議決により意思決定は可能になる。





意思は、未来時制の内容である。が、日本語には、時制がない。で、日本人には、意思がない。


意思がなくては、社会の意思決定にも難渋する。国政も先送りとなる。


日本人には、意思はないが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。


日本人は、序列を定めて裁量権を与え、恣意により運用させる。





恣意は、表明できない。が、腹の底にたまっている。



論旨がないから、議論は不毛である。談合により腹の探り合いをして、恣意を摺合せる。

隠ぺい体質者は談合により急場を打開する。日本人の頭の中には急場と場当たりの内容しかない。





意思を示せば、当事者となる。


意思を示さなければ、傍観者となる。


我が国は、世界にあって、世界に属さず。





自己の意思を表明すれば責任を感じざるをえない。


意思というものの存在を認めなければ、責任の所在の追求もない。


国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。


とかく、この世は無責任。





それでも日本人は原発再稼働を選んだ。


一億総懺悔への道、この道はいつか来た道。


安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しますから、、、、





2012-10-10 Wed 22:42 URL | noga #sqx2p0JE[ 内容変更] | top↑
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